ヴァラナシとガンジス川

お題「もう一度行きたい場所」

「インドへ行くと人生観が変わる」と、まことしやかに囁かれたのはいつの頃だったのだろう。インターネットによって世界のあらゆる場所が同時性を獲得した現在、よりも以前の話だったことは間違いない。

僕がインドに行ったのは、そんな神話すら消え去ってしまった21世紀になってから。それでもインドは、日本人の常識をひっくり返すほどにはブッとんでいた。

ヴァラナシという町には、ガンジス川で聖なる沐浴するためにインド中の人が集まってくる。沿岸にはガートと呼ばれる火葬場がいくつも並び、川辺にいる者はみな同じ聖なる衣を身にまとい、豊かなる者もホームレスも区別はつかない。

混沌とした川沿いの街を歩く。顔写真が添えられた手書きの日本語ポスターが、あちこちに貼られている。「〇〇年にこの地で行方が分からなくなりました。早稲田大学3年生の…」見かけた人は連絡をくれと、家族らしき人からのメッセージ。たぶんそれを見て連絡があった試しはないだろう。

死者がこの地で赤ん坊となって蘇るという話を聞いて、遠藤周作はこの街を訪ね「深い河」という作品を書いた。

生死が混沌として区別がつかない町、ヴァラナシ。生きているのが辛いならヴァラナシへ行こう。ここに暮らせば、自分がいま生きてようが死んでようが、なにも問題にもならない。